つらつら日常。
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運送会社さんが踏ん張ってくださったおかげで手元にアニバサ弐のDVD7巻が届きました。でもビジュアルブックはまだです。頑張れゆうびんきょく。
あんまりおもしろくないことをたたんでしまっておきました。
数日後、数か月後、数年後の自分の為にとりあえず書いておこうかな、と。
あんまりおもしろくないことをたたんでしまっておきました。
数日後、数か月後、数年後の自分の為にとりあえず書いておこうかな、と。
一ヶ月ですね。
あっという間だったと思います。正直あまり記憶が定かじゃないんです。日付の感覚も、曜日の感覚も、とても曖昧でした。ただただその時その時を自分にできることだけを必死にしていたと思います。
動いていなければ、何かしていなければ、と。己を木舞しないと、っていう気持ちが強かった一週間で、直後から精神的に物が食べれなくなってて動いているか寝ているかのどちらかしかしていなくて。それから電気が回復したあたりには徐々に徐々に確実に復旧していってご飯も食べるように努力してたら風邪引いて数年ぶりに熱出してダウンして、二週間後ぐらいには風呂風呂お水はいつだこのやろう、ってなってたかな。水は三週間後ぐらいに復旧して。その頃にはお店とかも修復しつつだけど開きはじめてて、四月迎えて一週間経とうとして、また地震来て。家の中ぐちゃぐちゃだしまた電気止まるし、でも水もガスも大丈夫だったのは本当にありがたかった。その時は流石にみんなでぐったりしたかな。
気づいてみれば一ヶ月。
自分の周りだけしか見れなかったけれどもっと広いところも見れるようになりました。
その代わりに震災関連ニュースがとても重く感じるようになりました。
テレビで映るものと映っていないものの差が徐々に広がっていると思います。世界じゃあ震災あったのに日本人は我慢強いだの、秩序乱れてないだの言いますが、テレビに映ってない被害おっきかったところは秩序乱れてるし、避難所生活での人間関係の生々しさもあります。先行きの不安だってすごくあります。今もこれ書いている間に揺れてたりしてます。
弱音だって吐きたくなりました正直言って。某所では耐え切れなくなって吐き出したりも。
5月に控えているプチオンリーも、私もう無理だなって流石に思いました。行ける行けないの前に最後までちゃんと出来ないかもしれないという不安で辛かったですね。今もちょっと不安はやっぱりありますけれど、いろんなところから声をかけてもらえたり、頑張ってる姿を見せて頂いたり、しているので最後まで粘って頑張ろう。諦めちゃだめだなって思い直しています。
そんな一ヶ月でしたが…まさかこれ書いている間に揺れたのがあんだけおっきかったとは思わず。最近の傾向なんですがちょっとやそっとの揺れぐらいじゃ微動だにしなくなった自分がいます。家具が倒れるぐらいにならんと騒がなくなったのは肝が据わったとかいうのではなく、ただのまたかよという馴れですね。慣れたくない慣れだな。
皆様も十分気を付けて。
本当に命あって人生であり、娯楽であり、今だと思うんです。
震災で亡くなったすべての方へご冥福をお祈りするとともに、地元を取り戻そうと今も頑張ってる被災地から、手を差し伸べてくれる方々へ、心を傾けてくださる方々へ心を込めて感謝を。そしてこれからもどうか、原発のことも震災のことも忘れないで、一緒に戦ってほしいと、思うわけです。
私は2011年3月11日を忘れない。そこから地元が、東北が、どう復興していくのか。それも絶対に忘れたくない。
あっという間だったと思います。正直あまり記憶が定かじゃないんです。日付の感覚も、曜日の感覚も、とても曖昧でした。ただただその時その時を自分にできることだけを必死にしていたと思います。
動いていなければ、何かしていなければ、と。己を木舞しないと、っていう気持ちが強かった一週間で、直後から精神的に物が食べれなくなってて動いているか寝ているかのどちらかしかしていなくて。それから電気が回復したあたりには徐々に徐々に確実に復旧していってご飯も食べるように努力してたら風邪引いて数年ぶりに熱出してダウンして、二週間後ぐらいには風呂風呂お水はいつだこのやろう、ってなってたかな。水は三週間後ぐらいに復旧して。その頃にはお店とかも修復しつつだけど開きはじめてて、四月迎えて一週間経とうとして、また地震来て。家の中ぐちゃぐちゃだしまた電気止まるし、でも水もガスも大丈夫だったのは本当にありがたかった。その時は流石にみんなでぐったりしたかな。
気づいてみれば一ヶ月。
自分の周りだけしか見れなかったけれどもっと広いところも見れるようになりました。
その代わりに震災関連ニュースがとても重く感じるようになりました。
テレビで映るものと映っていないものの差が徐々に広がっていると思います。世界じゃあ震災あったのに日本人は我慢強いだの、秩序乱れてないだの言いますが、テレビに映ってない被害おっきかったところは秩序乱れてるし、避難所生活での人間関係の生々しさもあります。先行きの不安だってすごくあります。今もこれ書いている間に揺れてたりしてます。
弱音だって吐きたくなりました正直言って。某所では耐え切れなくなって吐き出したりも。
5月に控えているプチオンリーも、私もう無理だなって流石に思いました。行ける行けないの前に最後までちゃんと出来ないかもしれないという不安で辛かったですね。今もちょっと不安はやっぱりありますけれど、いろんなところから声をかけてもらえたり、頑張ってる姿を見せて頂いたり、しているので最後まで粘って頑張ろう。諦めちゃだめだなって思い直しています。
そんな一ヶ月でしたが…まさかこれ書いている間に揺れたのがあんだけおっきかったとは思わず。最近の傾向なんですがちょっとやそっとの揺れぐらいじゃ微動だにしなくなった自分がいます。家具が倒れるぐらいにならんと騒がなくなったのは肝が据わったとかいうのではなく、ただのまたかよという馴れですね。慣れたくない慣れだな。
皆様も十分気を付けて。
本当に命あって人生であり、娯楽であり、今だと思うんです。
震災で亡くなったすべての方へご冥福をお祈りするとともに、地元を取り戻そうと今も頑張ってる被災地から、手を差し伸べてくれる方々へ、心を傾けてくださる方々へ心を込めて感謝を。そしてこれからもどうか、原発のことも震災のことも忘れないで、一緒に戦ってほしいと、思うわけです。
私は2011年3月11日を忘れない。そこから地元が、東北が、どう復興していくのか。それも絶対に忘れたくない。
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